COLUMN特集

2018.02.23楽器産業 楽器の街、音楽の都としての浜松ー楽器博物館館長 嶋さんー


「浜松の楽器産業の最大の功績は、良い楽器を、いい意味での大衆化、一般化をして、
​   世界中の人々が西洋音楽を楽しめる環境を作り上げたこと」


<浜松ものづくり力探訪>第2弾。

20年以上世界中の楽器と向かい合い、研究し続けてきた浜松市楽器博物館館長の嶋和彦さんに、「楽器の街、音楽の都としての浜松」「浜松の楽器産業」についてお話を伺いました。

SOU:今年で開館23年目になりますが、まずは、楽器博物館の成り立ち、変遷についてお伺いできますか?

21世紀に向けて浜松市の街づくりを考える中で、世界規模の楽器メーカーがいくつもある浜松市だからこそ、楽器をコンセプトに「楽器から音楽を楽しむ街」にしよう、というのが計画のスタートです。
当時も音大付属の楽器博物館はあったのですが、西洋楽器が中心で、楽器の研究が主目的でした。そこで、浜松は世界中の楽器を集めて、市内外の人が「モノとしての楽器」と、「そこから生まれる音楽」の両方を平等に楽しめる、公立で日本初の楽器博物館をつくろうと。これは世界初のコンセプトだったと思います。
楽器は、ヨーロッパだけではありません。日本もアジアもアフリカも、どこの楽器が優れているとかの優劣はありませんから。



SOU:楽器はどうやって集めたのですか?

構想後、さあどうやって集めようという時に、アメリカの個人のコレクターがお亡くなりになって、ご家族がご主人のコレクションを手放すという情報が入りました。ご主人の集めた大切なものだから、社会に役立ててほしいと一括で売りに出され、ヨーロッパを中心に450点ほどの楽器が集まりました。それが最初のコレクションです。巡りあわせですね。そこに、日本の楽器を200点ほど加えて、650点で1995(平成7)年4月に開館しました。

SOU:オープン当時はアジアやアフリカの楽器は無かったのですか?

世界の楽器を平等にというコンセプトがありますから、それからヨーロッパ以外の楽器を少しずつ集めて、2002年には大体揃いました。そして、開館から10年後の2004年にリニューアルオープンし、常設展として世界の楽器を展示する今のかたちになりました。現在の展示数は1300点ですが、収蔵しているものも含めると約3300点の楽器が、ここにあります。これからも展示数は増えていく予定です。

SOU:3300点ですか、凄い数ですね。ところで嶋さんはいつから館長を?

館長は2004年からですが、浜松に来たのは開館の1年前、1994年です。元々大阪の中学校で英語教師をしながら、リコーダー(縦笛)を演奏したり指導したりと音楽家としての活動をしていたのですが、師匠である大阪音楽大学の教授が楽器博物館創設の外部アドバイザーをしていた縁で、自分に声が掛かりました。



SOU:浜松とは縁もゆかりもなく?

それまで浜松の地に降り立ったことはありませんでした。「ここは研究中心の博物館ではなく、一地方自治体の市が作る、世界の楽器と音楽を平等に、一般市民に紹介するための社会教育施設だから、その学芸員は、研究だけすればいいのではなく、ここを訪れる子供からお年寄りまで幅広い世代の人たちを対象に、色々なお話や催し物をしないといけない。お前は音楽をやっていて、教員として子供と接しているし、何より『西洋音楽だけが好きじゃない』というのが一番大切だから、お前しかいない」って師匠に言われて。社会の役に立つ仕事で、ゼロからつくるというワクワク感もあったので、やってみるかなって感じでした。

SOU:それから24年、世界の楽器と常に一緒にいる嶋さんが思う、楽器の持つ意味や時代に与える影響について聞かせていただけますか?

踊り、歌とか音を出すというのは人間の本能でしょう。命をつなぐだけなら食べられればいい。人間は、何かを作り出す。それが他の動物と違うところです。音というのは物凄い力があって、純粋であり、先入観がないんです。ドーンと音が鳴ったらびくっとするでしょ。音には超自然的なパワーがあり、そこに楽器の根源はあると思います。
それが何千年も経て、今のピアノやトランペットになり、その間の楽器の変化は物凄く面白いです。よく進歩というが、それは違うと思っています。400年前の絵が今より悪いかっていうと、そんなことない。性能と文化的価値は違います。ベートーベンが作った曲は当時のピアノ(音量は今より小さい)に合わせた曲だから、そのピアノでないと本来の味が出ない。時速300kmのポルシェが時速20kmでは良さが出ないのと同じです。その時代ごとに産まれた意味があり、文化と繋がり価値を創造してきたのだと。それは日本の楽器も、世界の楽器も同じ。それをここ楽器博物館で感じてもらえれば嬉しいですね。

SOU:その歴史の中で、オルガンの修理から始まり、今や世界の楽器3大メーカーが集まる浜松が、日本、世界の楽器、音楽に果たしてきた役割についてどう思いますか?

ヨーロッパでは、楽器は職人が作るものだから基本的に高価で、お金持ちしか持てないのが当たり前でした。それを、安くてしかも質の高い、ヨーロッパの音楽を演奏するのにも耐えられるレベルで実現したのが、ヤマハでありカワイのピアノです。ヤマハのピアノが世界のトップレベルに躍り出たのは、昭和45年頃より後ですが、素晴らしいピアノを、世界中の人々の手に届くようにした。これが最大の社会貢献だと思います。値段にしたら半分以上安くて、それでいて質は良いわけですから。

SOU:ヤマハの国産ピアノ1号機が明治33年ですから、世界に認められるようになるまで長い期間がありましたね

世界のヤマハになったのは、(20世紀最大のピアニストと称された)リヒテルが弾いてからですね。それまでは、世界から見ればトップはスタインウェイだし、ベーゼンドルファーでヨーロッパの人は見向きもしなかった。最初は性能的にも厳しかった部分も、日本人の勤勉さと技術で作り上げ、そこまで辿り着いた。そういう目標を持ち、研究を重ねて良いものを作ったのですね、技術者たちは。
僕は、ヤマハさんの日本における最高の功績は、実はピアノではなく足踏み式のオルガンだと思っています。オルガンが日本中の学校に入ったからこそ、今日本人が西洋音楽の分野で世界トップクラスにいると思います。明治時代、文部省が教科に唱歌(蛍の光など西洋音楽の歌)を入れましたが、歌を歌うには伴奏がいる。三味線ではできないでしょ。外国から輸入するピアノやオルガンは高くて、買えるところはほんの僅かな学校や地方自治体だけ。それを山葉寅楠が、自分たちで作って、全国に広めていった。だから日本中の学校で唱歌を歌う光景が実現したのです。もちろん他にもオルガン製作した職人や製作所はあったが、大量生産で良いものを作って全国に広めたのがヤマハでした。そこには東海道の中心である浜松という地の利もあったと思います。


日本楽器製作所(現:ヤマハ)の足踏み式リードオルガン

SOU:いいものをより安く、それが原点ですね。ピアノやオルガン以外ではいかがでしょうか?

ハーモニカも、世界のトップアーティストが使っているのは、鈴木楽器のハーモニカです。 鈴木楽器は、鍵盤ハーモニカも有名ですね。浜松にはそういう楽器作りの会社が3大メーカー以外にもいっぱいあります。会社だけでなく、職人さんも。マウスピースをつくる亀山さんは、世界のトップですし、他にも打楽器、弦楽器など個人の職人さんもいっぱいいます。管楽器でいうと、ヤマハの製品は音程がしっかりしていて、初級者や中級者にとっては最適です。海外の楽器は味はあるのですが、難しいです。アマチュアには、吹いてもうまく鳴らない楽器よりも、吹いたらいい音が出る方が楽しいですよね。音楽を楽しめる。
浜松のメーカーの素晴らしいところは、良い楽器を、いい意味で大衆化、一般化した。名人だけの特権、上流階級だけの特権じゃなく、多くの人に、いいものを提供してきた。社会への大貢献だと思いますね。


ハーモニカの歴史も垣間見ることができる国産楽器コーナー

SOU:一般の人たちに、音楽への入り口、門戸を開いてきたってことですね。楽器博物館の中で浜松に関わるものというとどんなものがありますか?

国産楽器コーナーですね。楽器屋にはない、今までの歴史を振り返る上で見て欲しいものもいくつか揃えています。将来的には、PRだけではなく文化としての浜松製の楽器コーナーがあってもいいかなと思っています。今後の課題ですね。


一世を風靡した電子楽器の名器の数々も展示されている

SOU:嶋さんが楽器博物館で特に見て欲しい楽器、ポイントはありますか?

嶋さん:『神がいる 祈りにであう 美にふれる』のが楽器博物館です。楽器=音楽、音楽=西洋音楽というのが皆さんの感覚ですが、そうではありません。楽器と人間はどういう関係があるのか? アジアの楽器を見ると、そこには神様がいます。音さえ出ればいいのになぜ装飾するのか。楽器は、美術品であり、造形物です。そこを伝えたいですね。音楽に興味のない人にも来ていただき、見て聞いて感じて欲しいと思います。


インドネシア、バリ島の伝統楽器「ガムラン」

SOU:楽器博物館が浜松にある意義、今後の展望についてお聞かせください

音楽、楽器に対する先入観をゼロにして、人と音楽と楽器ってなんだろうと、考える場になればいいと思います。日本の真ん中で来やすいですし、世界中の楽器がありますし、昔、自分が使っていた楽器もある。日常だった楽器と音、そういう素晴らしいものを、絵を見るのと同じように見て欲しいですね。
これからも、目に見える楽器、有形文化遺産と、演奏して生まれる音楽という無形文化遺産の両方を使って、楽器をとりまく文化全体を紹介していきたい。それが実現できると理想的ですね。日本中のプロもアマも、メジャーな楽器だけでなく、日陰の楽器を演奏するのにここに集まれる。ワイワイガヤガヤ交流できる場、こうなっていくと本当の意味での音楽の街浜松になれると思っています。


インドの楽器の背景を語る嶋さん

SOU:今後の浜松の楽器産業に期待することはありますか?

絶えず未来を見据えての技術革新も大切ですが、大きな会社であれ個人の会社であれ、創業者の設立時の考え、志(こころざし)を大切にして欲しいと思います。最先端の楽器は素晴らしいけれども、それまでの楽器があればこその今の楽器。古くなったらお払い箱じゃなくて、歴史を大事にして欲しい。そこがヨーロッパ人と違うところですね。日本人は元々、古き良きものを大事にしてきたわけですから、そろそろ変わらないと。日本の色々な企業の創業者に見える「お金だけでなく、世の中のため」という志というものが必要で、浜松の楽器産業の原点もそこにあると思います。

SOU:本日はありがとうございました。
色々な巡りあわせの話をお聞きする中で、ここ浜松には楽器の神様がいるのかも?と思いました。世界中の人が分け隔てなく、あらゆる楽器、音楽を楽しめる、そんな拠点になるといいですね。浜松の楽器産業が、100年以上の歴史の中で、一般の人達に音楽への門戸を広げてきたように。




<本記事は2018年1月5日に取材しました>
取材協力:浜松市楽器博物館
 

浜松市楽器博物館館長 嶋和彦

1955年生まれ。大阪府出身。
リコーダー奏者、リコーダーオーケストラ指揮者。
中学校の英語教師を経て、1994年より浜松市楽器博物館勤務、2004年より同館長を務める。

楽器博物館ホームページ
http://www.gakkihaku.jp