COLUMN特集

2024.04.16楽器産業 楽器製造の“いま・むかし”、時代を超えて受け継がれる職人技を求めて


浜松市は、
ヤマハ株式会社(以下、ヤマハ)創業の地で、楽器産業が盛んなだけでなく、2000年にはユネスコ創造都市ネットワーク(音楽分野)加盟するなど「音楽のまち」として知られ浜松国際ピアノコンクールなどの国際的催し物の開催をはじめ、市民による音楽活動が活発であること評価されています

 

楽器産業においても、さまざまな楽器の製造工程で機械化が進められてきましたが職人による手作業でなければ実現できない工程や、専門技術なくしては完成しない楽器がといいます。

 

手作業だからこその付加価値や、機械化が難しい理由どについて伺うため、管楽器の製造を担うヤマハ豊岡工場を訪ね、昔から変わらない製造技術について取材しました。

 

楽器の総合メーカー、ヤマハの考える“手作業の価値”



 

はじめて楽器に触れる人からプロまで、幅広い音楽シーンを支えているヤマハ。1887年の創業から136年を経るで機械化された工程もありながら、守り継いできた職人技も多くあるといいます。

 

製造業において、機械化は省人化・効率化の手段であるという考え方が一般的かもしれません。しかしながら、ヤマハでは職人技による付加価値を基本とし、機械化は作業者を支え、職人技の価値を補強するために用いる技術と捉えているそうです。

 

進歩の速いものづくりの業界にあっても、機械で完全に代替することは難しく、手作業で行うことで付加価値が最大限に光る作業があります。今回は、その中から、トランペットのハンマリング技能とサクソフォンの彫刻技能見せていただきました。

 

「一枚取り」のトランペット、五感を研ぎ澄ませて叩くからこそ音も豊かに



トランペットのハンマリング作業の様子
 

高らかに響くトランペットの音。人々に元気と希望を与えるその音色は、実はトランペットの成形方法によっても変わるそうです。

 

伝統的な工法は、作業者の手作業による「ハンマリング」と呼ばれます。トランペットのほかサクソフォンなどの管楽器について、さまざまな工程に精通している水野拓也さんにお話を聞きました。

 

SOU:まず、「ハンマリング」の工程について教えてください。

 

水野:「ハンマリング」はトランペットなどのベル(吹いた音が広がるラッパの部分)を成形するための伝統的な工法です。イチョウ形をした1枚の真ちゅう材を筒状に折り曲げて溶接したものを、作業者がハンマーで叩きながらベルやパイプ(管)の形状を作り上げています。
 

ベルの部分とパイプの部分を一体成形するため金属の切れ目がなく伸びやかな音が出ます。この工法は「1枚取り(いちまいどり)」と呼ばれ、前工程の溶接自体も手作業でなければ難しいことから付加価値のある工程として知られています。
 

一枚取りのトランペットの音が豊かで伸びやかになるのは、溶接した部分が1本の背骨の役目となって、パイプを通る空気が程よく振動するからだそうです。
1枚取りのトランペットベルが成形されるまで
 

SOU:具体的は、どのようにベルをハンマリングしていくのでしょうか?

 

水野:前工程でベルの大まかな形を作った後、ハンマリングで、より精緻に形状を整えます。専用の工具で管体を固定し、パイプの部分とベルの部分の形をそれぞれ整えていきます。



 

パイプ部分は全体が均等な厚みになるように、平坦な木を当てて金属をならします。使用する木は、火の用心の夜回りでカンカンと鳴らす「拍子木(ひょうしぎ)」です。

 

ベルの部分は、ハンマーを使います。厚みのある部分を叩いて伸ばし、周辺に寄せて凹凸をならしていきます。実際にハンマーを使うので、「ハンマリング」のイメージが湧きやすいと思います。

 

SOU:ハンマリングの作業において難しいポイントはどんなところでしょうか?

 

水野:全体を均一な薄さに仕上げるために、どこをどう叩けばいいか、感覚をつかむまでが大変です。しわが寄っている部分を広げて伸ばすように、金属を上手に寄せながら丁度よい力で叩いていくのが難しいですね。

 

それに加えて、最終的な仕上がりをイメージしながら程よい形状までハンマリングしなければいけません。うしたコツをつかめるようになるまでには、一定の経験が必要です。

微細なすき間をならしていく。ハンマリングにかける時間は、標準的なモデルで1本あたり5~10分と速い
 

SOU:ちなみに、ベルは機械で成形することもあるのでしょうか?

 

水野:モデルによっては、あります。その場合は、ベルの部分とパイプの部分を別々に成形してから、溶接で1体の管体に仕上げます。音の通り道につなぎ目ができるので、大なり小なり音の変質が見られます。この工法は「2枚取り(にまいどり)」と呼ばれ、ほとんどの工程を機械化できるので、大量生産向きといえます。

 

SOU:仮に1枚取りのハンマリング技術を機械化しようとしたら、実現できるのでしょうか?

 

水野:真ちゅう材を折り曲げて溶接する工程が手作業なので、凹凸やしわが1本1本異なるところに付きます。そうした1本1本の個性を見極め、適切な方向に適度な力を加えていくといった臨機応変な対応は、機械では難しいかもしれません。

 

真ちゅう材の厚さは、薄いもので0.5ミリメートルですから、管体を叩いていくには、人の五感による微細な調節が必要だと思います。



ハンマリングにより溶接部分も均一にならしていく

SOU:かなり繊細な作業なのだと分かりました。水野さんはどのようにハンマリング技術を身に付けましたか?

 

水野:当社作業基準書やマニュアルに、先輩たちが残してくれたノウハウがまとめられています。ですが、自分なりにコツをつかめるまでトライアル・アンドエラーの繰り返しによって技術を習得していくしかないと思います。

 

SOU:付加価値の高い職人技は、身体で覚える部分も大きいのですね。

 

水野:そうですね。教わる立場と教える立場の両方を経験してみて、言葉で伝えられる部分は半分くらいの感覚です。残りの半分は、自分で叩きながら覚えるしかないのかな、と。ハンマリングに携わるようになってから3年半が経ちますが、今でもつねに考え工夫しています。よりよい楽器を作るために、技術の向上には終わりがありませんね。

 

SOU:そんな水野さんが思うハンマリングのやりがいは何でしょうか。

 

水野:ヤマハが136年の歴史で積み重ねてきたマニュアルがありながら、大事なところは作業者が手を動かして“正解”を見つけなければいけないところですね

 

ヤマハでは職人技の価値を認め、手作業で行う工程やモデルを大切に守り継いでいます。そして、ハンマリングも機械化できない工程の1つ。叩き方によって管体の味わいや音に違いが出るので、技術を磨くことにやりがいを感じますし、誇りも感じています。
 

手作業だからこそ光る立体的な美しさ、サクソフォンの彫刻は自分と向き合う作業


 

ジャズやロック、ポップスまで、幅広いジャンルで演奏されるサクソフォン(通称、サックス)。ステージ上ではパフォーマーの体の動きに合わせてキラッと光る管体が印象的ですが、その管体に装飾を施したモデルがあるのをご存知でしょうか?

 

そんな管体への彫刻作業ですが、ヤマハが採用する伝統的な工法は熟練の職人による手作業だそうです。この道20年であり、有名プレイヤーの特注品の彫刻も手掛けているという松下賢二さんにお話を聞きました。

 

SOU:管体を手に持つのが畏れ多いくらい、とても美しい装飾ですね。手作業で行うという彫刻の工程について教えていただけますか?

 

松下:下絵をほどこした管体に彫刻刀の切っ先をあて、左右に小刻みに振りながら、絵柄を彫っていきます。まずはガイドライン(外彫り)から。続いて、ガイドラインの内側を彫ります。10数本の彫刻刀を使い分け、柔らかい線や力強い線などを表現していきます。

SOU:どれくらいの力加減なのでしょう。

 

松下:強くもなく、弱くもなく、でしょうか。管体の素材は金属なので、力を入れなければ削れません。しかし、板厚は0.7ミリメートルほどしかないので、深く掘りすぎると絵柄が裏写りしてしまいます。全身を使って体の重みを刃先に伝え、滑らせるようにクルクルと彫っています。

 

SOU:一人前になるまでどれくらいかかりますか?

 

松下:彫刻の作業は、途中で迷ったり止まったりが許されません。1本1本の線をひと息に彫るため、絵柄を細部まで記憶することが必要不可欠です。そのため、シンプルな絵柄でも半年くらい一通りの絵柄彫れるようになるまでには3年ほどかかります。それに加え所要時間や品質が一定レベルに達し、一人前といえるようになるまでには5年ほどを要しますね。

 

SOU:一人前になるまで5年の年月が必要なのですね。

 

松下:とくに、自分に合う彫刻刀を自作できるようになるのが難しいですね。実は私たちは、鉄工に用いる工具の“やすり”から自分が使う彫刻刀を自作しています。刃の角度や力加減は作業者によって異なります。長年使いこんでいくで、自分に合った切っ先の角度や丸みを見つけ出さなければいけません。


松下さんが自作した彫刻刀の一部。研磨機を使い、思い思いの刃先を削り出している
 

SOU:道具から自作するというのは、まさに職人の世界です次に、彫る作業における職人技の基礎となるのは、どのような技術でしょうか。

 

松下:とにかくまっすぐな線を彫るのが基本です。カーブや円というように、複雑な線にチャレンジするのは直線を彫れるようになってからです。

 

手先のテクニックだけでは彫れなくて、心を整えることも大切です。例えば、思うように彫れなくてイライラすると、そのいらだちや焦りが絵に現れてしまいます。

 

また、管体は金属ですから、温度によって硬さが変わりますので、その日の気温などの状態によって彫刻刀や手つきを変えるのです。その見極めや力加減がすごく難しい。彫刻は、自分と向き合う作業であり、管体と呼吸を合わせる作業でもあります。



立ち位置や手の角度を変えながら、管体1本あたり40~60分かけて彫りあげる

SOU:とても神秘的な作業で、職人技が肌身に感じられます。

 

松下:他社では最近、彫刻をレーザーで行うモデルもあるようです。たしかにレーザーであれば、手作業よりも速く彫れるだろうと思います。ただし、線の深さや幅が均一になるので、絵柄が無機質に見えてしまうかもしれません。

 

手作業で彫る場合は作業者の体重が乗っている分、味わい深い線が彫れます。また、管体に対して刃が斜めに入るので、仕上がりも立体的です。そのため、ステージに立ったとき、照明の当たり加減によって彫刻が浮き出て見えるんですね。そうした絵柄は、機械で彫るのは難しいのではないかと思います。

 

SOU:そんな松下さんが思う、この仕事のやりがいは何でしょうか?

 

松下:自分の仕事が目に見えるところです。プレイヤーが私の彫ったサクソフォンを吹くのをテレビなどで見かけると、うれしくなりますね。テレビの画面上でも、店頭に並んでいても、自分が彫ったサクソフォンはひと目で分かります。

 

私は、繊細で美しい線が得意ですが同僚には太く力強い線に定評のある先輩もいます。個性が味わいに変わるのが彫刻の仕事の魅力。その技術探求には終わりがなく、日々自分を高めていく余地が見つかることこの仕事のやりがいです。




 

画一的でミスなく作れることを目指す機械が進む社会。そうした機械化の恩恵によって、私たちは手軽に楽器に触れる機会を得ています。

 

一方、手作業による職人技は、その付加価値として音質やデザイン独特な味わいを生み出していました。音楽のまちに今も息づく、“機械では代替できない価値”に、今こそ目を向けてみてはいかがでしょうか?